築地にある国立がんセンター 

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森田祐一・悪性リンパ腫、治療の軌跡

5月1日  初診。紹介状と保険証を携えて病院を訪ねる。
この病院でだめなら、
死を覚悟するつもりで治療に望む。

5月9日 内視鏡検査。採血採尿。
胃を膨らませて、癌をみつけるのか。

5月28日 徹底的に検査が始まる。
心臓超音波、肝・骨盤・頚胸部CT。
当然、採血、採尿。
朝5時出発のため、非常に眠い。
6月9日 耳の後ろが3箇所ふくらんできた。
どうも転移しているようだ。
まずい、急げ!
耳鼻咽喉科にて、首を切って細胞を調べることになる。

6月19日 首を切ってリンパ節摘出手術。部分麻酔にて決行。
このときほど恐怖をかんじたことはない。
意識がはっきりしているので執刀医と看護師の会話も聞こえる。
首筋から流れる液体がわかる。耳の後ろを切っているため、
ごりごりと音がこちらに伝わってきた。
全身麻酔でおなかを切ったほうがずっと楽な気がする。

6月20日耳鼻科。切り口の消毒。

6月26日背骨の中ほどの膨らみを発見。
主治医に伝えたところ、部分麻酔て摘出手術。
痛みはないものの、切られるか針で刺されることの繰り返し。
まだこのへんでは、気丈にふるまっていられた。
このころから、
早朝5時起き
電車通院
がしんどくなってくる。

6月26日入院してリツキサン(抗がん剤)をいれ始める。
どんな副作用があるのか、自分でも興味津々。
腕から入ってくる薬をながめること一時間。
背中が猛烈にかゆいし、発疹が一面に広がってきた。
これは対策の薬でおさえて、すべてを入れた。
2泊3日で退院。がんセンターの眼下に活気のある
築地市場や隅田川を眺めて自分をなぐさめた。
19階に浴場があってがん患者さんのみの利用がゆるされている。
銀座の風景を眺めてお湯につかると、旅行にきたかと勘違いするほど居心地がよかった。

7月22日本格的に抗がん剤治療が始まる。
アドリアシン、エンドキサン、オンコビンを注射で、
プレドニンを内服する。注射は難なく終えたが、
服用する
プレドニンのにがさ、
まずさは45年生きてきてワースト1位。

タバコがまずくて吸えなくなる。
皮膚がん対策でほとんど外に出ず。

7月28日抗がん剤注射。このころから、
早朝家を出てくることがしんどくなってきた。

7月31日腹部超音波検査。手と足の先がしびれる。

 8月11日4度目の抗がん剤。
髪の毛が洗髪のたびにまとめて抜けてきた。
薬が順調に聞いている証拠だが、
薄くなる頭をみるのは愉快じゃない!
家族がおもしろがって抜くものだから、この際スキヘッドにした。
よく見たら、足のすね毛もつるつるだあ。
舌の感覚もおかしい。食べ物の味がわらない。
足がつることがあり、妙なことに手の指もつるし
眉毛も抜けてきた。

8月18日採血、採尿。5回目の抗がん剤。
吐き気がとまらなくなる。朝起きていきなり吐く。
朝食をとったと思ったらすぐもどしてしまった。
一日に何度も吐き、トイレ、お風呂で嘔吐。
3日間何も口にはいらず、
「死んだほうがまし」
思えるほどの苦しみの連続。つめの色もおかしい。
家の中で洗面器が手放せなくなる。
なぜ、石鹸の香りで気分がわるくなるのか自分でも不思議だった。

9月1日採血。このころから、自分で自分を
コントロールするのが難しくなる。
どんな手術にも耐えられたのに精神的にまいってきた。
病院に一人で来るので、
話す相手もなく孤立感をあじわう。

と同時に、抗がん剤のにおいがたまらなくいやになり、
連想するだけで、もどしはじめた。

9月5日 抗がん剤をいれる。
マスクをしてそのなかに香料を染みこませ、
鼻をごまかしても薬をいれる。
このころから、早朝自宅を出るのをやめ、
病院の近くのホテルから通うことにした。
体がもたないと判断したからだが、
これで体はずいぶん楽になった。

9月8日 採血、採尿のあと抗がん剤を注射する。
どんなに鼻をごまかしても、つらい。
気をまぎらわすため音楽や好みの本をもちこむが、
気がまぎれずしんどい。
薬の匂いで、もどしそうになるからだろう。

9月中旬 前日からホテルに泊まり、朝になってがんセンターに向かう。
サングラスをかけ、頭にバンダナを巻き気合をいれながら、
一人昼食を摂った。もう、食べながら抗がん剤を連想し頭から離れない。
考えただけで、はしが止まってしまう。半分も食べられず、
抗がん剤のことを思っただけで強烈な吐き気に襲われた。
トイレにかけこみすべてもどしてしまった。
もう、限界だ!受付付近のソファに座り込んでいると
館内放送で私を呼んでいる。薬を入れる時間なのだ。
意識が注射の部屋に向かわない。勝手な判断だが、
家に帰ろうと心に決めた。タクシーに乗り自宅に付く頃、
吐き気が止まった。
もう、すべてどうでもよかった。
がんセンターを見るだけで、吐き気がしてくるほど深刻な事態だった。
 
9月下旬 主治医から電話。「森田さん、どうしました?」
「先生、もう病院に行くのが限界です」

「悪いほうに進んでいるわけではないのだから、
もう少しがんばってみよう」
と言われ、考え直すことにする。
ここでやめたら中途半端であるし、はっきり言えば死にたくないのだ。

9月29日 抗がん剤注射。ホテルから病院へ。
遺書の下書きをホテルで書きとめる。
抗がん剤の匂いが鼻につくため、マスクをして口から呼吸する。

9月30日 心臓超音波。体への負担は相当なもの。体重が5キロも増加。
10月6日 主治医に現在の状況説明。心身とも疲れきっていた。

10月8日 抗がん剤調合していただくが、吐きそうになり断念する。
どうごまかしてもごまかしきれなくなる。
自殺したくはないが、抗がん剤を入れないと自殺してしまうことになる。
頭で理解しても体の拒絶反応は相当なもの。
つまり自分で
自分をコントロールできない状況に陥る。

10月14日 心臓超音波。

10月20日 精神科を受診。抗がん剤の注射の前に精神安定剤を
服用することになる。抗がん剤のにおいを頭が学習してしまったので、
薬物で切り離すことが狙い。
服用するとボワーッとして頭の反応がにぶくなる。

10月29日 ホテルから病院へ。精神安定剤を飲んでいるためか、
緊張せずに病院にはいることができた。
少し前までがんセンターを見ただけで気分が
悪かったのがうそみたいである。抗がん剤を入れることに成功。
頭の反応はにぶい。ちょっとした夢遊の感覚。

10月30日 頚胸部CT,肝〜骨盤CT。
がんが消滅しているかチェックするのだろう。

11月10日 採血、採尿。肝臓がだいぶ負担がかかり、疲弊している。

11月17日 採血、採尿。内科、精神科へ。現在の体の中は、
がんが消滅した模様。精神科では薬を飲み続けるように言われる。
緊張を解くためだろう。精神安定剤の効果と、
がんの状況が良い方向にあることが確認できた。
がまんの甲斐があった、苦しくて、
もがいた日々が
うそのように心が晴れた。
もう少しの辛抱すれば、楽になれる。
もう少し耐えれば髪の毛が・・・。

11月19日 ホテルから病院に向かう。
途中で築地の活気のある市場をわざとぬける。

すこしでも元気がほしい。生き生きした空気の中に居たい。
生きている手ごたえがほしかった。
抗がん剤注入成功。精神安定剤のおかげ。
こんなに劇的な効果があるのかと少々とまどうくらい。
変な自信がついて、いつでもこい!と言う心境。
 
12月1日 採血、採尿。布団にはいっても、足がつる。
両手の先のしびれは変わらず。

12月8日 採血、採尿。第四コーナーを回り、ゴールが近い。
抗がん剤も容易に入る。体の疲れを感じる。
外出もあまりしていないので、階段もきつく感じられる。
なによりも体重が増えたことで、服がきつくなる。
築地市場のすし屋めぐりを始める。
病院に通ったおかげで、築地に詳しくなった。
たまにいいこともある。

12月10日 抗がん剤注射。今年最後らしい。
もがいた一年だった。桜の花が見られるまで、
頑張ろうと自分を鼓舞する。春はもうすぐである。

2004年
2月5日
 新年から抗がん剤も一応終えたので、
頭から毛が生え始めた。まるで新芽のように、しびれもとれてきた。
風邪もひくことなく乗り切れたことが不思議だった。
採血、採尿して、頚胸部、 肝〜骨盤CTを撮影する。
「しばらく、好きにしていていいよ」といわれ、胸のつかえがとれた。
再発の危険性はあるが、恐怖の抗がん剤第一弾は終えた。
体のどこも痛くない普通の生活はありがたく、
ストレスを溜めないようにのんびりしたい。
友のありがたさ、肉親の応援で乗り切れたが、
これで終わったわけではないことを胆に命じている。 
 
        がんと苦闘した日々、                           森田 祐和
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